2008年4月。
親父と見た館山の夕陽…
山形の貧しい農家の次男として生まれた親父は
中学を卒業するとそこに自分の居場所がなかった。
生きるために いろんな仕事を転々とし おふくろと出会い
そして 新しい命を育むために上京したのだ。
話を聞けば 経済的にかなり苦しい生活が続いたらしいが、
俺は ひもじい思いをした記憶がない。
ひもじさを感じなかったのは親の強い愛情のお蔭だったろうし
周りも同じ貧乏だったからかもしれない。
子供の頃は 海へ山へ 何度も連れて行ってもらったが
それはレジャーではなく 収穫の為だった。
時には 馬しか走っていない動物園にも一緒に通った。
仕事はできたが 酒が好きで 無口なくせに人が集まることが好きで
大怪我をして帰ってきたり 農薬の配合を間違えて意識不明になったり
歳をとってもスピード狂で
何百年に一度と言われた去年の震災の時は
散々止めたのにレンタカーで帰郷途中。
いつも家族はハラハラドキドキさせられっぱなし。
とにかく親父は 自然を愛し 移りゆく季節の風景を楽しみ
その季節ごとの山菜を求めて 時には自分で道具を作り
つい最近まで山へ入って行ってた サバイバル親父でもあったのだ。
学も無く 本も読まないから 言葉も知らない。
今になってわかってきたことは
自然の中で ひとりでも生きていける知恵を 背中で教えてくれていたのではないだろうか。
そんな親父が 普通に犬の散歩を済ませ 晩酌をし
普通に いや、いつもより穏やかに就寝したまま 逝ってしまったのだ。
『じいちゃん、戻れーーー!』
ポタポタ涙を流しながら心臓マッサージをする息子の傍で
俺は親父の喉の気道を ただぼんやりと確保するだけしか出来なかった。
親父は本当に死んだのか?
犬との散歩のように
山菜を採りに山へ行くように
ただ、自然に戻って行っただけなんじゃないのか?
親父には何か夢のようなものがあったんだろうか?
たとえ 自分が叶えられなくても
子供に 孫に 伝えていけばいい。
それが 血の繋がりというものではないか。
親父…
この世界に生んでくれて ありがとう。
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